ぱーそなるな話。

私は、高知県出身のガーデナー 兼 絵描き

MikotoYoshinaga です。

 

そして「みこと」は本名で、

父親が産まれる前から決めており

男の子であれば「命(みこと)」だったそう。

「神様の名前を人間に付けるのは如何なものか?」

とお寺か神社で言われたそうだが

どうやら強行突破したらしい。

 

・田舎なので牛小屋や田んぼなど自然と動物に囲まれて育ちました。

・絵を描くことは元々好きで幼少期は絵画教室にも通っていました。

・昔少々ヤンチャだった母親に女手一つ割と自由に育ててもらいました。

 
ちょっとクセ強めな学生時代でしたが

幸い魅力的な友人に恵まれ、助けられ、

それなりに部活(バスケ・吹奏楽・アイスホッケー)も頑張りました。

大学は、大阪芸術大学でプロデュースを学び卒業しました。

就職は「やりたいことをやるにはまずは市場から」ということで、

新卒は百貨店内のレザーバックをメインに扱うブランドで

オープニングスタッフとしてキャリアをスタートさせました。

残念ながら大阪で初の試みだった百貨店は3年で幕を閉じてしまったため、

そのタイミングで上京を決意。

知り合いもおらず仕事も決まっていませんでしたが、

結果的に同ブランド丸の内直営店での勤務が決まり、

家はソーシャルアパートメントという

大型のシェアハウスのようなところに住みました。

この家には結婚するまでの東京4年間まるまるお世話になり、

国籍問わず今に続く素敵な仲間達と出逢えました。

※2020年に離婚しました。

 
その後、売上全国一位を経験したタイミングで販売員から本社勤務。

商品計画、現場の応援やヒアリングをしていました。

後に武者修行のため大手化粧品メーカーへ転職します。

そこで品質保証のお手伝いを経て人事に異動。

育成研修やインナーブランディングに携わりました。

田舎娘の世界は一気に広がり、

都会のど真ん中でキラキラの社員達に混じっていることが嬉しく

何かこの先があるのではと期待もしましたが

どんどん大きくなる規模とスピードに適応できず・・・

自分に出来ることを考えた挙句、

再び芸術分野に関わろうと美術雑誌の出版社に転職。

 

主に営業職でしたが、

美術業界の所属団体構成や公募展についてとても勉強になりました。

芸術家の方と直接お話し出来る機会は面白かったのですが、

やはり自分も描きたい。

 

始めは、案外規則正しく取れるお昼休憩を活用して

近くの公園や道路沿いに生えている木を描くようになりました。

描くために良く見るとちょっと変わった形状であったり

枝葉の付き方が自分のイメージと大きく異なっていたりと、

気にも留めない日常風景の中にも面白さや発見はたくさんある。

むしろ、そういうところにこそあるのでは?

そんな思いからこれらのスケッチは、

『事実は小説より木なりシリーズ』と名付け日課となりました。

 

しかし、オフィスという環境がどうにもまだ閉鎖的に感じる。

そんなこんなでワガママにも更に転職して、

ハーブ園ガーデナーとして勤務の傍ら、絵を描いて暮らすようになりました。

 

 

結局とてつもなく長くなってしまいましたが

やはり絵に限らず、何かを表現しようと思うまでには

一言では言い表せない過程や背景があると感じます。

そして、そういう時間や経験こそが

その人を創った要素であり、積み重ねた日々の賜物であり、

「物語」となるのではないかと思います。

 

このサイトでは、私の主要な要素である

「接客・販売の記憶と知恵」

「絵についての構想」

「見習いガーデナーの着眼記録」

をテーマに取り上げています。

 
あくまでも一個人の体験が元になっていますが、

似たようなケースやシーン、視点・思考の仕組み、

もしくは、ほんの少し気持ちが和む etc.

何かしらのお役に立てる要素があるかもしれません。

「いつも同じような情報ばかり見ているな」

そんな時は、

出先の知らない喫茶店にちょっと入ってみるくらいの気持ちで、

どうぞごゆるりとお立ち寄り下さい。

 

 

宜しくお願い致します。